私は長年「才能と努力はどちらが勝つのか?」という疑問を感じていました。
なぜなら私には秀でた才能はないため天才に勝つには努力で磨き上げるしかなく、
その努力は才能を超えるものとなるのかが大きく人生を左右するからです。
「こいつはすごい」と”圧倒”されてしまったら負け
社会人になってから友人知人に対して「〇〇は頭が良いなぁ」と思うことがあります。
特段頭が良い人は周りからも「すごい才能だ」「あいつには勝てない」と声がかけられることが普通です。
しかし、「なにかに秀でた人に対してすごいと感じること」は一説によると認知的不協和がもたらす反応のようです。
認知的不協和とは?
自分の考えに反したことが起こると不快感を感じること。
例えば、小学校の頃によくやった「かけっこ」で考えてみます。
かけっこでは絶対に勝てると思っていた相手に負けたとします。
ここで認知的不協和が発生します。
すると、次のアクションとして想定されるのは、
「足の調子いつもより悪かったしな」
といったりすることです。
これは認知的不協和の解消に相当します。
つまり、この発言によって「いつもの自分なら勝てた」という世界を構築し、自分の考えと現実を対応させます。
すごい人を見たときに「これは才能だ」と思うことは、
自分が努力しなくても良いための言い訳を作るだけにすぎないということです。
すごい奴に勝つには
一見、才能に恵まれたように見える人も大概裏ではとんでもない量の努力をしています。
もちろん、勉強にしろスポーツにしろ生まれつきの才能が左右する部分もあるかもしれません。
ここは単純にある力を以下のように因数分解してみます。
力=才能×努力量
※ここで、才能は定数、努力量は変数とする。
このように考えると努力をしないことには力はつかないわけです。
才能が100ある人でも1しか努力しなければ、才能2の人が50より努力した人には負けます。
もちろん世界はこんなにも単純化されることはないですが、努力は大切だと考えています。